1.釣りとは何なのでしょうか
この素朴な質問からスタートし、一つ一つ釣りの入門の扉を開けて行きましょう。
釣りの原理というか、釣りの行為そのものは、水の中の魚を地上の人の手に取り込むことであり、その全体のプロセス、それにまつわる感動、感慨をすべて含めて釣りと呼びます。しかし、網ですくったり、手づかみで取ったりするのとは明らかに違います。
糸の先に付けたハリを、魚の口に掛けて、つまり、人と魚との糸電話の結果、やっと釣りが成立するわけです。
では、スルメの切れ端をヒモに結んでザリガニを釣るのは、ハリもなければ魚でもないから、釣りではないのか、といわれれば、それも立派な釣り。釣りの相手は魚、だけとは限りません。タコ、イカ、エピ、カニ、みんな釣りの対象なのです。
しかし、ほとんどが竿に糸とハリを結び、エサなどを付けて魚の口へと運びます。首尾よくハリに食わせ、無事に手元に取り込むまでの全体のプロセス、そのアクションこそが釣りと考えていいのではないでしょうか。
ここで大事なのは、まず魚がどこにいて、どんな習性や特徴があるのか知っておく必要があるということです。
次に、魚を釣るのに合った釣り方や、道具、仕掛け、エサなどについての知識が必要となります。
そして最後がテクニック。竿を上手に操り、ハリを口に掛けたら、今度は逃げようと抵抗する魚の動きに対応しつつ、手の届く所までもってこなければなりません。
つまり、釣りをマスターするためには
①魚の習性を知ること。
②道具に対する知識を深めること。
③魚を思いのままに制御できること。
以上の3点の知識や技術に慣れ親しむことが先決です。
魚の習性や特徴を知るためには、図鑑などを見るのも一つの方法ですが、釣りに必要なのは学術的な知識ではありません。釣りの実践をとおして覚える生態です。
魚のいる場所を見つけ、エサを知り、ライフサイクルを理解する。こうして始まる釣りのイロハ。限りない探究の世界のとりこになり、生涯の友となったとき、あなたの人生から「退屈」という言葉は消えてなくなるでしょう。
2.釣り場、エサ、釣り具、釣り方の関係って何だろう
ハリと糸とエサさえあれば、原則的に釣りは成立します。足元の障害物の影にいる小魚を釣るだけなら、それでも充分でしょう。
しかし、釣り場に応じて対象魚を絞るなら、それなりの釣り方やエサを必要とします。
たとえば、清流に群れ泳ぐウグイ(ハヤ)やオイカワ(ヤマベ)を川岸から釣る場合、4~5m前後の竿と、糸、ハリ、オモリ、ウキといった仕掛けが必要です。
「仕掛け」とは、ある種類の魚を釣るためにアレンジされた糸やハリ、夜光玉、オモリやヨリモドシなど小物金具からなる一つのシステムのこと。
その仕掛けや竿を総称して「釣り具」と呼び、他の釣りにも転用・併用できる竿やウキ、魚をいれるビクなどは「道具」と呼びます。
つまり、場所や対象魚に合致した道具を選び、その時期にふさわしい仕掛けをセットし、魚の一番好むエサを付けて、はじめて可能性の高い釣りができるわけです。
エサについて一例をあげると、かなり流れのある釣り場では、釣り具店で求めたチューブいりの練りエサでは、すぐにハリから洗い流されて使いものになりません。
そこで、サシと呼ばれる人工増殖したギンパエの幼虫を購入します。練りエサほどの集魚力はありませんが、ハリにちょこんと掛けて流れに乗せると、ウグイやオイカワが食べてくれるはずです。
もっと確実なエサとなれば、水質の良い清流の小石と小石の間に隠れ住む水生昆虫の幼虫などを使います。普段食べ慣れているエサですから、魚は警戒心を忘れて、飛び付いてきます。
魚種、釣り場、エサ、釣り具の密接な関係の中から、1つの釣り方が生まれるわけです。極言すれば、場所を見て、エサや釣り具を選べば、腕はさほど問題ではないといえるでしょう。
たとえば、小さなオイカワを狙った仕掛けや道具で、1m近い大ゴイを釣り上げるのは、かなりのベテランでも至難のワザです。
反対に大ゴイ用の仕掛けやエサで、清流のオイカワを釣るのも、まず不可能。
腕のよしあしよりも、道具や仕掛け、エサと場所と魚の関係をきちんと理解しておくことが大切なのです。
魚を釣る秘訣とは「1に場所、2にエサ、3に腕」くらいに思って間違いありません。
腕は経験によって磨かれてゆくものでしょうし、こればかりは釣り具店にも売っておりませんからなにとぞご承知を。
3.釣りだけが持つ魅力
海でも山上湖でも、川や池の続く野原でもかまいません。釣り場に着いたら、まず胸いっぱいに新鮮な空気を吸ってみましょう。
忘れがちな自然のにおいに気がつくはずです。太陽の光を浴び、そのぬくもりの中で空を行く雲を目で追うとき、自然に抱かれたもう一人の自分を見つけるかもしれません。
釣りはまずこの自然との触れ合いから始まります。
水の中に魚の姿を見つけたら、あなたは俊敏なビーバーか、あるいは豪快なヒグマのように流れに立ち入っていきたくなるでしょう。
よく、釣りは狩猟本能の現れなどといわれますが、確かに、糸や竿からビクビクと魚の振動が伝わってくると、獲物を捕える瞬間の興奮に心臓が高鳴ります。
その興奮状態にひたるため、あれこれ場所を探したり、エサを変えたり、仕掛けを考えたりと、無我夢中になって時間を過ごすわけです。
この充実した時間が、単調な日常生活や、仕事や勉強の疲れを慰める一服の清涼剤となり、人生の息抜きとなってくれるのです。
魚をハリに掛けるだけの単純なことながら、思いどおりに事が運ばないのも、自然が相手だけに当然のことです。また、同じ魚でもさまざまな釣り方があったり、同じ方法でも、毎回少しずつの変化があるものです。
いわば、この複雑さが釣りならではの魅力でもあるわけです。間口も広ければ、奥行きも深い。時間や地域によっても大きな違いがあります。また、時代によっても、次々と新しいページが加えられてゆくものです。
したがって、いくらやっても究め尽くせない世界であると同時に、次の瞬間が全く予測できない、筋書きのないドラマでもあるわけで、これがまたスリリングな魅力にもなっています。
一人で楽しむことができるのも釣りなら、仲間や家族と一緒にワイワイできるのも釣りです。場合によっては競争もできるでしょう。
お金をかけて道具を揃え、旅費をかけての遠出も、趣昧ならではのぜいたく。
反対に節約の釣りも可能です。エサは清流に住む川虫、竿は付近に自生する篠竹で代用、なんてこともできます。経済的にも自在に対応できるのが釣りなのです。
年齢制限もなければ、性別や身分も問いません。とてつもない大物にめぐり会えるチャンスが、誰にでも平等にあるのが釣りのよいところです。
初心者には初心者なりの楽しみ方があると同時に、経験を重ねて中級者へ、更に努力を積んで上級者へステップアップしていく楽しみもあります。
もちろん家元制度のような制限は一切なく、健康であれば老若男女の区別なく楽しめるのが釣りというものなのです。
4.なんでもかんでも先着順
釣りは年齢、性別、職業、あるいは社会的地位などに一切無関係であることが魅力でもあります。つまり、魚を釣るチャンスはすべての人に平等に与えられているのです。したがって、釣り場でも先着順に優先権があり、早起きした少年や土地の老人がいいポイントに入るのも、本人の努力に他なりません。
船釣りでは、よく釣り座の優先がいわれます。
船の四方の隅は、条件次第では、仕掛けを下ろしただけでよく釣れ、同じ乗船料を払うなら、このよく釣れる場所を確保したいのが人情です。
この釣り座もほとんどが先着順です。
船の場合、ミヨシと呼ぶ先端部や、トモと呼ぶ後端部にクーラーなどが置かれていたら、この釣り座は確保してありますという意味で、その外側には割り込まないのが常識です。
また、船長の指示がない限り、釣りの途中で釣り座を移動するのもご法度です。午前中は我慢の釣り座だったが、潮や風が変化して、午後からはラッキーポイントとなる場合の公平さを維持するためです。
貸しボート釣りでも、先着順に借りて、先着順に釣れるポイントへアンカーを下ろします。かつてはボートの貸し出し予約を電話などで受けていましたが、マナーの悪い人の一方的なキャンセルが増え、最近では先着順に貸し出す店が大半です。休日には早く出かけないと、借りられないこともあります。
先着順は、駐車場も、船内に用意されているバケツなども同じです。ちなみに、遊漁者の船もよく釣れるポイントへは先着順で入って行きます。
また、投入合図の後、一斉に魚のタナへ仕掛けを下ろしますが、手際よく下ろした人に魚が釣れるわけで、これも先着順といえるでしょう。
「なんでもかんでも先着順」が、釣りの公平さを守ります。多少の早起きで釣果アップがかなうなら、こんな素敵なルールはありません。
もっとも先着順の優先権はここで述べたあたりまでです。不利な釣り座をテクニックでカバーする、高等技術の持ち主もいれば、運、不運も釣果を左右します。
やはり悲喜こもごもの予測せぬドラマが楽しめるわけです。
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